別居の経緯2

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 2016年10月、1回目の調停が終わり、夫も私の離婚するという意思があるとはっきり分かったためか、夫の嫌がらせがエスカレートしていきました。

 子供が遊んで物を出して散らかしているところの写真を撮ったり、私が作った料理を写真に撮ったり、家の中の至る所の写真を撮ったり、異常でした。もちろん、その写真は、調停でも、裁判でもそれが出されることはありませんでした。長男が卒業するまで、子供のためではありましたが、今まで通り夫にも料理を作っていたのですから、何も悪いことではないのです。もう一つ、子供が遊ぶ時、おもちゃを出して遊ぶのは当たり前で、遊び終わってから一緒に片付ければいいのです。それを写真に撮って自分の有利な証拠にするというのは、おかしな話しなのです。つまり、逆に、今まで子育てを全くしていなかったという証明でもあります。それに後から気がついたか、夫の弁護士さんに夫側の有利な証拠にはならないと言われたか分かりませんが、その写真は出してきませんでした。

 また夫は、私の方の弁護士さんにも嫌がらせの書面を送っていましたので、弁護士さんにある日、
「今までの状況から考えて、子供を連れて家を出た方がいい。」
と言われました。私も第1回目の調停が終わってから夫の顔つき、特に目の光が異常と感じていました。よく表現されている言葉でいうと狂気の光といった感じです。何するか分からないという危険を感じました。

 私はそれまでかなりの時間を使って、DV、モラハラ、虐待の人の行動パターンを情報収集していましたから、家を出る際は何も言わず離れた方がいいということを知っていました。なぜなら、トラブルになるからです。何をしてくるかわからないからです。相手は、話し合いのできない人です。弁護士さんもなぜかそのことを理解されていたようでした。

 そこから、夫に気がつかれないように急ピッチで家を出る準備をします。たぶん、別居を決めてから家を出るまで、4〜5日だったと思います。

 調停の方ですが、1回目の調停であまりにも夫からの要望の数が多く、内容も無理難題ということで、弁護士さんからは、裁判にしたほうがいいと言われました。私もそれに同意しました。調停の場はあくまでも話し合いです。夫はやはり、話し合いの出来ない人だったのです。

 最後まで読んでくださりありがとうございます。また投稿していきますので、よろしくお願いいたします。

 

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