実家に帰ってから〜母のこと3〜

Uncategorized

 実家に帰ってから、2〜3ヶ月して次男が間違ってガラスを割ってしまったことがありました。それ以来、物が壊れると大抵私たちのせいにされました。例えば灯油タンクです。雪国なので灯油が入った灯油タンクというものが外に置いてあるのですが、そのメーターにひびが入っていたのも、子供たちが壊したのではと疑うのです。冬の間は、雪の中にそのメーター部分が埋まってしまうことがあるので、その影響ではないかと思うのですが、そんなことも私たちのせいにするのです。また、ものが無くなったのと疑われたこともありました。例えば石鹸です。せっけんなんて誰も取りません。それなのに石鹸がなくなったとわざと大騒ぎするのです。長男だけは疑わないのですが、私と次男と三男は何かにつけて疑われました。

 他の嫌がらせとして、母は、長男を連れて家出をしました。それは、母が私の長男を連れて行くことで、長男と結束していることを見せつけたかったのです。そういうアピールは、長男が小さい頃からありました。長男はママよりおばあちゃんの方が好きだよね、というようなことを周囲によく話すのです。母が毒親だと気づいてから分かりましたが、これは毒親によくあるマウントだと思います。

 それと、母の家出で困ったのは父でした。父もそれまでは、私に応援してくれていましたが、この母の家出事件からは、父は母の言いなりになってしまいました。母は家出することによって、父も味方につけたのです。そしてその後から、見事に父も、私を追い出す方に加担して行くようになるのです。

 次男が壊した窓ガラスの修理代も、その時はかなり切り詰めた生活をしていましたから、自分達が家を出る時に支払うと言っていましたが、母はその家出の前に、
「今、返せ。おばあちゃんもお金がないんだ。」
と怒鳴ってきましたので、仕方なくなけなしのお金を持っていくと、そのお金の取り方もひどかったのです。私がお金を渡そうとしたら、その時は次男がたまたま家にいて、それを聞いていた次男が、
「僕が渡す。」
と言ったので、次男にお金を持たせると、その次男の手から、お金をひったくるように取ったのです。その時の母の顔は、人間の顔には見えませんでした。言葉で表現すると般若とか餓鬼とかそんな言葉が当てはまるように思います。母をよく知らない周りの人は、母はキレイと言っていましたし、母も自負していましたが、私は、内面を知っていましたので、その内面が外側にも出ているように見えていましたので、全くそうは見えませんでした。

 最後まで読んでいただきありがとうございます。また投稿していきますので、よろしくお願いいたします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました