時間をかけても言葉を尽くしても、夫は自分は悪くないの一点張り。もう過去には戻れないから、
とにかくもうやらないという約束だけはしてほしい、そう思いました。
私は、思い切って、義母に話してみようと考えました。
それまで私と義母との関係は良好でした。少なくとも私はそう思っていました。以前から、義母と義父は折り合いが悪く、会うたび義母から義父の愚痴を聞いていました。また、義父は喧嘩になるとよく義母に『出ていけ。』と言っていたようで、2週間ぐらいうちに泊まりに来た時もありました。私はその時、うちに来てくれたことが嬉しかったのです。なぜなら、夫は兄弟が多く、うち以外にも選択肢があるのに、わざわざお嫁さんであるうちに来てくれたからです。義母が来てくれた時、少しでも快適に生活してほしいと思い、話を聞いたり、体にいいものを食べてほしいという思いから、ごちそうは作れないものの、私なりに普段よりお料理に時間をかけたりしました。うちにいる間、義母は、義父と義父の実家から受けた仕打ちをいろいろと話してくれました。後から気が付きましたが、義父の実家も夫の実家もモラハラ、虐待があり、今回の夫の虐待もそこに起因していたと思われました。
その2週間はお互いにいろんな話しをしました。私は、その2週間で義母との心の距離が少し縮まり、信頼関係が深まった思っていました。なので、思い切って話しをしてみました。長男の怪我は靭帯が切れて重症と言われた。でも、K(夫)さんは全然悪くないの一点張りなので、どうにか、もうしないよう説得してほしい。と言うことを頼みました。その時は、深刻に受け止めてくれたと思っていました。
その後、夫の家族が集まる食事会があり、私も誘われましたが、私がいない方がちゃんと話してくれると思い、参加しませんでした。帰宅後、夫に何と言われたと聞いても、
「別に何も言われなかったよ。」
とのことでした。義母からの連絡もありませんでした。
どうも、長男が夫を蹴ったから怪我をした(離婚裁判の時には長男が自分を蹴って靭帯を切ったという主張は自分でもおかしいと思ったようで、ただ抑えていただけというと主張に変えましたが。)という話しになった様でした。そして、私の意見は流され、なぜか、私が寂しくてかまってほしいのではということになってしまったのです。
夫にも夫の家族にも結局はわかってもらえませんでした。また、のちに義母に電話をして聞きましたが、長男の怪我は喧嘩両成敗と話していました。
無力感を感じました。夫の育ってきた家庭なので、やはり考え方は一緒だ、もう何を言ってもダメだと思いました。その時ふと、夫は今までこうやって自分に不都合な事実には逃げてきたし、家族も問題としてきちんと受け止めず、流してきたのでは、と思いました。
私は、夫と夫の家族の対応の仕方に、無力感と同時に怒りが込み上げてきました。義母が泊まりに来た時の私が義母に対する信頼感と努力は踏みにじられてしまいました。
しかし、この時は気がつきませんでしたが、夫の実家の家族に関する情報は、後に私の頭の中に重要な材料として残りました。
最後まで読んでいただき有り難うございます。まだまだこれからも投稿していきますので、よろしくお願いいたします。
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