離婚後の生活〜三男のこと5〜

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 三男の手術が無事終わりましたが、まだ心が重くなることがありました。それは、前もって約束していた電話交流の日が三男の入院と重なってしまい、その日は電話が出来ないので、元夫に交渉して電話交流日をずらしてもらわなければなりませんでした。実は裁判中にも電話交流があり、その際三男は熱があって電話に出られませんでしたが、そのことについて責められた経験がありました。三男は熱性痙攣の既往がありましたから、熱が出たらすぐに休ませていました。元夫ももちろん知っていたので、わかると思っていました。でも、そんな状況でも言いがかりをつけてきました。なので今回もまた言いがかりをつけてくるか思い、気が重かったのです。まともな相手ではありませんから、こう言ったら多分こう返ってくるという予想が出来ないのです。同じ親だからこう考えるよねは通用しないのです。どうなるか心配しながらメールしましたが、今回は意外にあっさりOKが出ました。拍子抜けしましたが、ホッとしました。こんなふうに普通の相手ではないので、いつもどんな返事が返ってくるか予想がつかないのです。なので、『離婚後のやりとり』に書きましたが、面会交流以外はなるべく関わらないように対策を取っていました。

 退院した日が土曜日で、1日休んで、月曜日から学校に行くことになりました。学校に三男を連れて行くと先生方がとても心配されていました。というのも三男は、その頃はまだ集団行動が苦手で、みんなと一緒に出来るところは幼稚園の頃よりかなり増えてはいましたが、まだ出来ないところも多少ありました。先生方はそんな三男のことをよく知っていましたので、手術や採血などされる時、スムーズに受けれたか心配だったようです。私は、
「ぐったりしていたので、嫌がったり暴れたりしませんでしたよ。大丈夫でした。」
と笑顔で話すと先生方もホッとしておられました。

 夫のDVモラハラ虐待、別居、家庭内暴力、離婚裁判、不登校、毒親とこれでもかというほど試練が続きました。まるでいままで溜まっていた膿が一気に噴き出したようでした。私は、心の中で『神様、いつ試練が終わるのでしょうか?多すぎではないでしょうか?一気に来すぎではないでしょうか?出来ればもう少し時間を置くか、もうこれで終わりにしてほしいです。』といつも願っていました。(ちなみに、特に何かの宗教に属しているとかではありません。一般的な神棚があり、仏壇がありますので、多分〇〇宗だと思いますという感じです。)ささやかでいいので、もうそろそろ穏やかな生活がしたかったのです。途中までは無我夢中でしたが、さすがにもう息切れ状態でした。

 最後まで読んでいただきありがとうございます。これからも投稿していきますので、よろしくお願いいたします。

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