裁判の終わり

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 2019年12月にほぼ1年かかった調停と裁判が終わりました。ちょうどその頃、引っ越しが決まり新居に荷物を運び始めた頃でした。

 新居に食器を並べている最中に、弁護士さんから電話がきて、
「相手の弁護士が〇〇氏(夫)を連れてきたので、今日で離婚が成立しますよ。裁判で離婚が成立するには、被告(夫)も連れてこなければならないという決まりなので。」
と連絡してくれました。

 でも、夫はその場でもまだ条件を言ってきました。子供の学校名を教えろというのと子供の学校行事を教えろというのです。弁護士さんから電話でどうしますかと聞かれましたので、
「学校名は教えてもいいですが、学校行事の方はちょっと・・・。」
と答えました。実は学校名も行事も教えたくありませんでした。まだ夫と暮らしている時に、長男の受ける高校を、素晴らしい高校にもかかわらず、底辺の高校と何度も馬鹿にしていたことがあるからです。行事については、小学校はかなりありますから、教えた教えないとまた言いがかりをつけてくると予想が出来ました。なので迷いましたが、学校名の方は1回教えるといいだけなのでそちらだけ教えることにしました。そして、その約2時間後、弁護士さんから連絡があり、和解離婚が成立しましたとの報告が来ました。後で弁護士さんから聞きましたが、夫は学校行事も教えろとごねていたそうですが、
「ここで離婚が成立しないと養育費を上げなければならないことになるよ。」
と周りからせっつかれ、渋々納得したそうです。ちょうどその頃、今までの養育費の算定表だと作られた年代が古く、金額が少ないということで少し高く改正される時期でした。そう言われて仕方なく納得したようです。

 『実家に帰ってから〜夫のこと1、2、3〜』で書きましたが、財産は半分で、養育費は算定表より少し低くなりました。でも、何よりも親権が私に決まったことが、調停や裁判をした結果得られた成果だと思います。調停や裁判で私自身も嫌な思いをたくさんしました。裁判所は公平な場所なので、当たり前のことかもしれません。ただ、夫が話し合いの出来ない相手だったのでそれは仕方ありません。今ではそれが最善の方法だったと思います。法的な場所で決めてもらえたので、夫も決められたことに従うしかないのです。調停や裁判という場所がなければ、私は子供も家もお金も全て取られ、人生のやり直しが出来ないぐらいになっていたことも考えられるのです。

 最後まで読んでいただきありがとうございます。また投稿して行きますので、よろしくお願いいたします。

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