父の介護はわずか2ヶ月で終わってしまいましたが、その中で印象的なことがありました。
それは、その2ヶ月の間に1度だけ正気に戻ったことがあったということです。『離婚後の生活〜父の異変2〜』で書いた時のように、話しの受け答えが出来る時間がありました。介護中の兄がある日、
「今、話しできるよ。今日は何日とか、お前仕事どうしたとか聞いてきたよ。」
と言った時がありました。その時私は話したい気持ちもありましたが、私は兄と父の大切な時間を邪魔したくありませんでした。そこで部屋に入らず、部屋の外からチラッと顔を見るだけにしました。確かにいつもと違う顔つきでした。私は、正気に戻った父の前でいろんな思いが溢れ出して泣いてしまうのが怖くて、部屋には入れませんでした。その話せる時間は、大体30分ぐらいで終わってしまったと思います。2回目の入院中も一度ありました。その時も、兄と少し会話できたようです。
延命治療しないという同意書にサインすることも迷いと後悔がありました。
1回目の入院の時から、年も年なので何かあった時に延命治療をしますかという決断をしなければなりませんでした。もちろんどちらでも選べます。兄も私も相当悩みましたが、延命治療はしなくてもいいという同意書にサインしました。その決断をしなければならない時は自分で思っている以上に心に負担だったようで、スーパーで買い物している時や運転中などの何気ない時間に突然涙が溢れてくるのです。父の死の決断と覚悟をしなければならなかったからだと思います。
2回目の入院の時、父は食べられなくなっていましたので、あの時無理にでもお医者さんに頼んで、胃管を入れてもらえばもう少し長く生きられたかもと悔やみました。
現在それから半年ほど経ち、そのことに関しては、あれで良かったのだと思えるようになりました。人の死に関してはいろいろな考え方があります。私にとってとても共感できる複数の動画を見つけられましたので、それによりかなり癒されました。
それと父は入院してから時間な猶予がありました。そのためか母の時のように『虫の知らせ』はありませんでした。母は突然死でしたので、いろいろな無念があったと思われますが、父にはそういう無念はなかったのかもしれません。
最後まで読んでいただきありがとうございます。また投稿していきますのでよろしくお願いいたします。
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